「生きがいを見つけて」35歳末期乳がん患者の告白(ヨミウリオンライン)読売新聞

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「働くことで、生かされた」。  千葉県野田市の会社員、安岡薫さん(35)はステージ4の末期乳がん患者だ。すでに体中の骨や肺にもがん細胞が転移している状態だという。しかし、現在、7歳と3歳の兄弟の子育てをする一方で、会社勤めを続けるなど、見た目や生活ぶりも一見、健康な人と変わらない。彼女の活力の源泉になっているものは何か。そして家族に対してどんな思いを抱いているのか。取材に応じてくれた安岡さんに7月21日に話を聞いた。
(聞き手 読売新聞メディア局編集部・中根靖明)

「5年生存率は30%未満」

――宣告された時の様子を教えてください。

 今年の8月でステージ4の宣告を受けて2年です。2015年の夏、お風呂に入った時に乳房のあたりが固くて「変な感じ」がしたんですね。実は、左胸が乳腺炎になりやすかったり、腫れやすかったりという兆候があって、以前から病院にかかっていたのですが、当時は乳腺炎と信じて疑っていませんでした。定期的に病院に通っていたのですが、親の介護に加え、子どもが体調を崩す日も多くて、看病もしなくてはならず、病院に行けない状態が8か月続いていました。

 気になったため、その年の8月11日に久々に病院に行き、いつものように検査を受けようとしました。すると、看護師さんが入れ代わり立ち代わり出入りするようになり、「何かがおかしい」と。産婦人科や乳腺外科など、いろいろな部屋に連れて行かれて「まずいな」と感じました。乳腺炎じゃないのかなと。針を刺して細胞の状態を調べる「針生検」をしようとしたのですが、乳房が硬直していて、検査のための麻酔が効かなかったんです。お医者さんは「もう直接針を入れます」と言い、7か所に長い針を刺されました。今でもあけられた穴が残っているんですよ。

――そうした場合、本来は麻酔をするもの。痛みは相当だったでしょう。

 ええ。もうこの世のものとは思えないような痛みでした。正直、出産の痛みよりもひどかった。その痕は今でも皮膚がめくれたような状態になっていて、時々出血したり、分泌液が漏れたりする原因になっています。

――その後はどうだったのでしょう。

 人生で初めてCT(コンピューター断層撮影)とMRI(磁気共鳴画像)の検査を受けました。最初、「結果は2週間後に出ます」と言われたんです。すると翌朝、突然病院から電話がかかってきて「今すぐ来られますか」と。外出していたので、すぐに自宅に戻り、病院に行きました。いきなり余命宣告されました。「5年生存率」のグラフを見せられ、「5年生きられる可能性は30%を切っています。がんが両方の肺と全身の骨に転移している。ステージ4です」と淡々と説明されたんですね。「うちでは手に負えないので、がん専門の病院を紹介します」と言われて、紹介状を書いてもらいました。

「子どもの送り迎え、どうしようかな……」

――宣告を受けたときの気持ちはどうでしたか。

 実は結構、冷静に受け止めていて、泣かなかったですね。「(長男の幼稚園の)送り迎えはどうしよう」なんて思いました。それから、当時はまだ次男が母乳を飲んでいたので、「母乳もやめなければいけない」「これまで授乳していても大丈夫だったのか。悪いものを飲ませていたんじゃなかったか」などと考えていました。

――母親としての心配が大きかったのですね。

 とにかく、これからの生活や子どものこと、自分の今後のことを考えたら、そっちで頭がいっぱいになってしまって。子どもが小さかったので、そちらの方が気になりました。あと、「年を取ったら一緒にゲートボールしようね」と言っていた夫との約束が守れないな、とも。走馬灯のようにそういう記憶がよみがえってきて、悲しいという感情が当時はまったくなかった。夫や子どもも付き添ってくれていたのですが、夫が泣き崩れていて、それを見るのは辛つらかったです。交際期間も含めて20年近く連れ添っているので、「いて当たり前」の存在。さらに私は体が丈夫で大きな病気をしたことがなかったので、ショックも大きかったのでしょう。男性の心は「ガラスのハート」ですから(笑)。あと、「父親が泣いているのに、母親の私まで泣いちゃだめだ」と思ったかもしれません。

――長男は冷静だったのですか。

 当時5歳だった長男が「お母さん、あと5年生きられないの?」と聞いてきて、子どもに早い段階で知らせたのがよかったのかな、と思ったことはあります。

 長男は比較的成長が早く、大人っぽくしっかりしていたので、(医師の)先生から「一緒に聞かせた方がいいんじゃないか」って言われたので同席させていました。そうは言っても、半分わかっていない感じで、泣いていました。「いきなり明日死ぬの? それとも何年か生きて死んじゃうの?」って聞かれましたね。長男は比較的落ち着いていたと思いますが、実は心に傷を負っていたようで、半年ぐらいたつと「ママじゃなくて、僕が代わりに死ねばよかった」と言い出したんです。理由を聞くと「僕はまだそんなに長く生きているわけじゃないから」と。その時に初めて長男は大泣きし、私も一緒に泣きました。

子育てもままならず、在宅医療に

――その時、入院はされなかったのですね。

 2日後の8月13日に、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で精密検査をしました。いつでも入院できるように準備は整えていったのですが、でもその時、入院は免れたんです。次男がなかなか保育園に入れない「待機児童」で、子育てもままならないので、ソーシャルワーカーと相談して入院せず、在宅医療を選びました。事情があってもなかなか保育園には入れてもらえなくて、「このままだと家族が共倒れになる」と言ってもダメでした。夫に仕事を休んでもらったり、子守りを母に頼んだりしたこともありました。

 それでも、具合が悪くなることは多かったです。痛みを完全にとることは無理だと医師から言われていましたし。「今より悪化させることなく、生活の質を落とさないようにしよう」と。緩和ケアに近い形です。早く見つかっていれば、すぐ入院して手術することもできたのですが、私の場合は転移がひどくて、無理に出血している部位などを切除しようとすると、その間は抗がん剤が投与できなくなるんですね。そうなると悪化が進んでしまうので、手術すべきではないと。だから、今まで体にメスを入れたことはありません。

――子育てはできたのですか。

 骨がすでに相当もろくなっていて、骨折しやすい状態になっていました。そのため、まだ1歳だった子どもを抱きかかえたりできなかったのは辛かったですね。私自身が横向きに寝転がって抱くような形にするしかなかった。ラッコのように上に乗せてもいけないといわれました。1歳の子はあれもだめ、これもだめ……。これだとスキンシップがすごく減ってしまいます。かわいそうでしたね。

――その後も入院することはなかったんですか。

 いえ、あります。子どもを抱いちゃいけないのに、つい子どもの体調が悪い時などに抱いてしまうんですよね。水を含んだ重い洗濯物を自宅の2階まで持って上がることもあり、そんなことを続けていたら、ちょうど1か月後の15年9月、背骨の下の方を折ってしまって。階段の途中だったのですが、とてつもない痛みで動けなくなり、うずくまってしまい、汗が噴き出してきました。1歳の次男が階段をヨチヨチ上ってくるのですが、言葉がまだ話せません。1階で充電中だった携帯電話を取りに行くこともできず、1時間ほど次男と2人きりでいました。「あそこに携帯があるから持ってきて」とずっと言い続けて。すると、次男が奇跡的に持ってきてくれたんです。すぐに夫に電話して、「動けないんだけど」と伝えました。救急車を呼ぶことも考えましたが、ちょうど夫が営業で近くにいたので、迎えに来てもらい、そのまま緊急入院になりました。

苦しみのあまり「大泣き」

――入院生活はどうでしたか。

 点滴を腹と腕から入れられて、体中、管でつながれ、副腎皮質ホルモンのステロイドや抗がん剤を投与されました。折れた骨が頸椎(けいつい)に影響し、手足のしびれ、神経障害が出てしまいました。それで、足が動かなくなって。ずっとベッドの上で、一人で排泄(はいせつ)に行けないのがとにかく苦痛でした。次男と同じようにオムツをつけなければならず、それがすごく嫌で。この年で介護される側になるなんて、と思いました。抗がん剤の副作用がひどく、声も出なくなり、三半規管が狂い、耳もおかしくなった。ペットボトルのふたさえ開けられず、何もできなくて。もう生きているのか、死んでいるのかさえわからなくて、大泣きしましたね。

――特に辛かったことは何ですか。

 胸に水がたまり、咳(せき)もひどくて。呼吸困難になって実際に「死にかけた」こともありました。ある夜、看護師さんが気づいてくれて事なきを得たんですが、本当に生死の境をさまよったんです。なんとか朝を迎えることができたのですが、頑張らなければいけないという気持ちと、もう苦しみから逃れたいという後ろ向きな気持ちとの間で葛藤しました。子どもや夫に介護させるぐらいなら、死んだ方がマシじゃないかって。でも、夫や子どもは「別に何もしなくてもいいから、息だけしてくれていればいい」と言ってくれて。しばらく声が出なかったので、家族とは「筆談」していたのですが、長男が私と会話がしたいといって、ひらがなを夫に教えてもらい、すごい勢いで覚えたみたいです。

――リハビリもしたんですか。

 あまりやると叱(しか)られるので、看護師さんに隠れて夜中に手すりを持って歩く訓練もやりましたね。トイレに自分ひとりで行けるようにと思いながらやっていたら、なんと1週間で立てるようになりました。年齢が若いからですかね。これも奇跡的に2週間で退院できたんです。

「クラウドソーシング」との出会い

――退院して、仕事をし始めたそうですね。

 野田市は移動手段に自動車が必須なのですが、モルヒネ入りの強い薬を飲んでいたので、車が運転できずに家から出ることができなくなってしまったんです。友達とも会えないし、買い物もできない。そうなるととても辛くなってしまって。さらに、副作用で記憶力や集中力が低下する抗がん剤を使っていたこともあり、医師から「何かやったほうがいいよ。見た目は30代でも、心は60代になっちゃうよ」と言われました。それが、とにかく嫌で(笑)。それに、治療費や子育てにお金がかかる時期で、少しでもお金を稼がないといけないと思っていたんです。

――すごく意欲的ですよね。

 生きがいがないと、ダメになっちゃうような気がして、とにかく集中できることをしたかった。そこで友人からパソコンなどで仕事の受発注が簡単にできる「クラウドソーシング」の存在を教えてもらいました。リハビリにもなるし、記憶力の維持にもつながりそうなのでいいなと思いました。いろいろと調べていく中で、主婦が隙間時間などに仕事を引き受けられる「シュフティ」というサイトを選びました。サイトの文面が柔らかく温かみがあったので入りやすかったんですね。仕事を発注する側も、主婦が大勢登録しているとわかっているので、比較的「納期」などに柔軟に対応してくれるのもよかったんです。子どももいるので助かりました。

――クラウドソーシングでは、どんな仕事をされたんですか。

 ユーチューブにアップする動画編集の仕事などですね。字幕を入れたり、音を入れたりといったような内容でした。あと面白かったのは鉄道マニア向けに、延々と踏切の様子を撮影した動画を編集したりするようなものもありました。実は、パソコンは普通の人以下のスキルしかなかったように思います。でも、やっているうちにできるようになった。負けず嫌いな性格なので、絶対にやり遂げようと思ったんです。あと、楽しくなってきたということもあるかもしれません。本格的にやり始めて、半年間で50件ぐらいの仕事を請け負いました。

「仕事に生きる力をもらった」

――その後、会社勤めを始めたそうですね。

 次男も保育園に通い始めたので、今年4月に企業に入りました。それからはシフト制とはいえ、「フルタイム」に近い勤務形態で、野田市内の会社に勤めています。病気のことは言わずに入社し、今では経理などの事務や軽作業をやっています。6月には会社側に自分の病気のことを打ち明けましたが、幸運なことに非常に理解のある会社で、そのまま雇い続けてくれました。普通の社員と同じように扱ってくれ、とても助かっています。

――これからもフルタイムのような形で働くのですか。

 実は、左の肺に水がたまっており、圧迫されて苦しくなることがあるのです。それを会社に話し、これから先は「時短勤務」にしてもらうことにしました。でも、仕事は続けていきたいです。人と会ってコミュニケーションを図ることが力になるんです。まず、仕事と巡り合わせてくれたクラウドソーシングがなかったら、今頃この世にいなかったかもしれません。本当にクラウドソーシングに命を救ってもらったといっても過言ではありません。仕事で生きる力を手に入れることができたような気がしています。

 一方、前述のとおり、働かないと治療費が払えないのも現実です。日々、注射をしたり、抗がん剤を飲んだりしないと、命をつなげません。実際には、体が苦しくても、働かないと家計は赤字。貯金を切り崩さざるを得なくなります。給料もほぼ治療費に消えますし、足りなくなる月もあります。確かに、仕事は生きがいでもあります。しかし、実際に体力はすでに限界を超えているのかもしれません。でも、日々の生活を守るため、持ち前の気力でなんとかしのいでいる。息切れした状態のまま、ずっとランニングを続けている状態ともいえます。

――今後の目標はありますか。

 ひとまず、3歳の次男が小学校に入学するまでは生きていたいです。ランドセルを背負う姿を見たいんです。実は、がんが見つかった当時、医師からは「3年でヤマを迎える」と言われていまして、もう2年たつのですが、あまり長期的目標は持たない方がいいんじゃないかなと思います。むしろ、目標をクリアするたびに、一つ一つ、次の目標を作っていく。無理せず、着実に歩みを進めていきたいと思います。

※追記 安岡さんは取材後の7月25日に体調が急変し、31日に緊急入院して検査したところ、新たに脳への転移が見つかった。自力で歩くことなどが困難になったが、8月24日に退院、今では少しだけ歩けるようになったという。在宅医療に切り替え、職場復帰に向けてリハビリなどを続けている。

国立がん研究センターの統計では、2015年のがんによる死亡者のうち、女性では20代後半から60代前半までで乳房(乳がん)が最も多い。国の補助で検診を受けられたり、末期がんの患者で要介護認定されたりするのは死亡者数の多い40歳以上の人に限られる。しかし、厚生労働省は「若い人は進行も早い。早期発見だと様々な対策がとれるので、気になったら検診を受けてほしい」と呼びかけている。

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■名無しさん
「僕はまだそんなに長く生きているわけじゃないから」
息子さんの心中察すると朝から泣けてきます。とても優しいお子さんに育ってらっしゃいます。次男さんの携帯電話の部分も奇跡ですね。こんな可愛いお二人と優しいご主人残して逝きたくないですよね。ポジティブでとても強い女性だと思いました。
今後、厳しい場面も出てくると思いますが、数パーセントの中に入って欲しいと切に願います。
それこそ数ヶ月前、同世代の同じ病で先立たれた方の言葉を借りて「まだ生きてたの?」と、からかわれるくらい。
名無しさん
健康が当たり前の日常に感謝しないといけない。女の人ってすごい強いよね…。
kkm021152
夫婦も変われば、こんなに違うんだ。
当事者は同じくらい頑張り屋だけど、
旦那さんがすごくしっかりしてる。
普通の家族はこうなんだね。
35前後はまだ子供も小さくて自分の
ことは後回しだったり、気づかない
ことが多いのかも。
子供の検診と一緒に婦人科の検診とか
義務付けたらどうなんだろう。
名無しさん
初めまして、朝から記事を読んで頑張ってるなと凄く感動しました。
実は、自分は44歳で末期の肺癌です。
宣告は約4年前です。
治療をしなければ、半年で治療しても1年と診察当日に言われ、どうやって自宅に帰ったのかも覚えていません。
当時、1人息子が中学生どうやって、家族に説明すればいいかわかりませんでした。
最初は、会社にも言えず、なんで俺が癌になり、朝から酔っ払いを見ると、正直怒りが込み上げて来ました。
最悪な性格になる自分が惨めで、悲しくなり、これからどうしたらいいか、迷いました。
会社の同僚や親友に話を聞いて貰い、凄く泣きました。
40過ぎの、大人が声を出して泣きました。
家族にも話をして、気持ちが楽になり、生きてるうちは、家族や仲間や仕事、もちろん治療も一緒懸命して、後悔しない目標を持ちました。
今では、病院スタッフや仲間や家族に感謝して過ごしています。
一緒に頑張りましょうね。
名無しさん
ものすごく前向きな方で圧倒された。自分には果たして出来るだろうか?(いや絶対無理!)
記事を読み、世の中が変わらなきゃ!改善されなきゃ!と思う事がいくつかあった。病気であっても仕事を継続する権利や保育園の優先権。
病気はいつ誰がなるか分からない。明日は我が身と思わないと。
次男君のランドセル姿、絶対見て欲しい!神様、パワーを与えてあげて!
名無しさん
末期から生還した人だっている。
奇跡を願い、生き抜いて欲しいと思う。
名無しさん
産後1年以内は健診が受けられなかったり、授乳中は乳腺が張っていたりして、正確な診断が受けられなかったりするから、こういう時期になってしまう乳がんって、どうやったら予防や早期発見ができるんだろう。決して他人事ではない。
自分がもし乳がんになっても、こんな前向きに生きられるかな…
次男のランドセル姿が見られるまで生きたい、謙虚すぎるほどの夢が叶えられないことがあっていいのか…どうかできるだけ長く子供たちの成長を見れるように、生きてほしい。
名無しさん
同じ年子供の数も同じ。長男の言葉に泣けました。人間ドックやはり行かないとダメですね。子育てと仕事で自分は後回しにしちゃってるけど。
こんなに頑張ってるのに移転なんて悲しすぎます。元気になってほしいです。
名無しさん
今、救急病棟に入院中で、当初はトイレも一人で行けませんでした。無論起き上がることもできませんでした。
インフルエンザで高熱が出たときなどもよく思うことですが、普段何気ない健康なときがどれほどありがたい事かということを。
私は、今の所、命に別状はないですが、それでも大きな不安は残ります。私ならば、自分がこの状況になったとき、不安に押しつぶされると思います。この方の生き方を見て、前向きに頑張って生きていこうと思えました。
名無しさん
こんな状況でも保育園に入れないって…
定員等あって行政側も仕方ない部分もあるかと思いますがあんまりだ
名無しさん
なんでこんなに人の良さそうな人がこの若さで死ななければならないんだ
名無しさん
なぜ、社会的保証が見直されないのかいつも怒りを感じます病気になっても安心して治療に専念できる社会を実現して欲しい
名無しさん
私も妻を乳がんで亡くした。辛かった。だが、先に逝った妻は私の何百倍も残念で辛くて寂しかっただろう。医学が飛躍的に発達してくれることを心から願っている。
名無しさん
お母さんの性格や生き方がきちんと長男に息づいてると思いました。この先も逞しく育っていくと思われます。でもまだまだ小さい子供さんです。
夢が遂げられることを心から祈ります。
MmTkYyi
主婦、お母さんってどうしても、自分のことを後回しにしがちで、おかしいと思った時には進行した癌だったなんてことをよく目にするような気がします。
これは行政が環境を整えてやることも必要ですが、何より自分の身体のサインを見逃さないで、少しでもおかしいと、思ったら最優先で検査を受けて欲しい。人間ドックでもその時の何万がもったいなくても、何かあったときの毎月の何万円よりかは断然安いから。子供が母親の代わりに死にたいなんて言わずに済むよう、全国のお母さんにもっと自分の体を大事にしてほしいと願います
この方が回復しますように、と願っています。
でも、まず思うのは、こういう方こそ、待機児童じゃなくて、すぐに保育所にお子さん預かってほしいこと、
重い洗濯物を二階に干しに行かなくてもいいように、ヘルパーさんなどを配置してほしいこと、若い世代こそ、生活保護受けてなくても、医療費を無料にしてほしいと切に願います。そうしたら無理に働かずに長男くんと一緒にいる時間も長いはず。
子育てもせず仕事もせず社会に貢献してこなかったのに、生活保護で生きて医療費無料とか、ワガママ老害がのさばってるのを見るとイライラします。
名無しさん
産後すぐは子育てに追われて病院に行くのが難しい。
まず子供のことが最優先で自分のことは後回し。
病院に行こうかなと思っても、体調が悪い人が多い待合などでもし泣いたら迷惑だよな…とか診察中は誰かに抱っこしててもらわないといけないしな…とか思うと主人が休みの日以外はなかなか病院に行けない。授乳中は乳腺が発達していてマンモグラフィーでは綺麗に写りにくく、エコーのみの診断になったりでこの時期にもし乳がんにかかったら発見されるのが遅れたりするのかな。。
このお母さんは強くて前向きで圧倒された。少しでも長く家族との日々が続きますように。
名無しさん
僕も今現在ガン経過観察中です。
4年前に胃がんのステージ4の宣告を受けました。術後運が良かったのか再発転移無しです。
とりあえず仕事も普通にやってます。
ガンがステージ4の末期でも命が末期とは限らない。
これが自分の座右の銘です。
名無しさん
家庭環境やこの方の状態がなんか麻央さんに似てる気がしてやるせない…。
とにかく、お子さんの成長を見続けていく為に生きて下さい。
名無しさん
朝から涙が出ました。
この方と出来た場所は違いますが私の友人のお母さんは7年前末期のガンと診断されましたがガン細胞が小さくなった?か、無くなったかして今でもピンピン元気にしておりますよ!
もしかしたら友人のこのお母さんみたいな例は稀なのかもしれませんが医療は進歩していると思います。
他人事に聞こえてしまったら申しわけありませんが前向きにご家族と支え合って乗り越えてください!
Syo
「ママじゃなく、代わりに僕が死ねば良かった」
涙が出た。
けど、親からしたら結構ぐさっとくる言葉だね。
子供の死は見たくないものね。
お母さん癌に負けないで。
名無しさん
小さなことでもいいから、家族と想い出をたくさん作って欲しい。
名無しさん
最近、自分の未熟さで仕事のことで悩み、気が滅入っていました。やらなくてはいけないのに、先延ばしにして…
この記事を読んだとき、涙が出ました。自分にも同じぐらいの子どもがいるのですが、自分よりずっとずっと辛い状況で頑張ってる方がいて、その家族も懸命に過ごしてらっしゃることを知り、いろんな感情が湧き出てきました。ほんとに自分の不甲斐なさを痛感しました。
情けない自分に勇気をいただきました。ありがとうございます。
そして、少しでも長く生きられ、少しでも良くなることを祈っております。
名無しさん
社会で役に立っているという実感は、家族がくれるものとは違う力をくれます。
二人に一人が癌になるといわれている今、普通に扱ってくれる職場は大切です。
私は術後3日で仕事に復帰しましたが、私の職場は通院に理解を示しつつ変わらず働かせてくれました。
私は大丈夫だ、病気なんかに負けるもんか、と思えました。
治療にお金がいるのも事実ですが、それだけではないのです。
この人の置かれている状況は厳しいものだと思いますが、1日でも長く希望を持って生きられるよう心から願っています。
名無しさん
10年前に母親が乳がんになり、乳房全摘、リンパ摘出しました。
自分も遺伝的になるんじゃないかとがん保険に入り、30過ぎでようやくマンモグラフィーを受けます。
まだ小さい子どもが居るから早めに見つけていきたい。
40歳以下のマンモグラフィーは意味がない等のネット情報も、検診をためらうひとつなのかな、と。
検診年齢引き下げてもいいんじゃないかな?
名無しさん
本当に芯の強い方ですね。ご自身がこんなにも大変な時に家族の事まで考えて仕事もこなし…素晴らしい女性です。
つまらない仕事の悩みでつまずいてる自分が恥ずかしいです。
少しでも良くなられすように。
名無しさん
小林麻央さんの時も感じましたが、今、自分が健康でいられることに感謝しなければいけないなと謙虚な気持ちになりました。お子さんのことが心配だと思いますが、強くて気丈な母親を持ったことに感謝する立派な大人になると思います。どうぞ最後まで諦めないで人生を全うしてほしいです。
anemone_n
もしも自分だったら…と想像して読みました。
色々考えさせられました。
是非とも次男くんの小学校入学の晴れ姿を見てあげて欲しい。
@!
強い女性ですね!かっこいい
子供の事を凄い大事に育ててるのも感じるし…宣告受けたらショックの前に子供の送迎の心配したり本当考えさせたられた…自分ならどうなるなぁ〜と
名無しさん
記事を読んでいるだけで、聡明で優しいお母さん、温かい旦那さん、しっかりした兄弟、すごく伝わってくるだけに切ないです。
知り合いの30代のお母さんはスキルス胃がんで告知を受けて一年も経たずに亡くなりました。三兄弟の下の子はまだ3歳です。
半年前から胸焼けがしていたと、ようやく受診内視鏡検査で発覚です。
もっと早くに受診すべきと世間は思うでしょう。でも、子育てに追われる母親は、胃がもたれるくらいではなかなか行かない、行けないのが現状です。
何とかならないものかと本当に思います。

 
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